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  2人が一緒になったワケ。


は雨の中を傘もささずに歩いていた。

いや、行きはちゃんと傘を持ってきていたのだ。
しかし、放課後、帰る時になってみると傘はなくなっていた。

誰かが間違えて持っていった、とは考えられなかった。

 』と言えば、この広大な氷帝学園の中でも ―良くも悪くも― 知らぬ者はいないのだから。

そうなると後は、今日傘を持ってこなかった面倒くさがりの誰かが拝借していったか、あるいは
―困ったことににとってはこれが一番有り得ることだったが― 嫌がらせか。

彼女の家庭環境を考えれば、携帯電話で自家用車を呼べば済むことだった。

しかし、まだ新生活に慣れていない故にはそのことをすっかり忘れていた。

よしんば覚えていたとしてもはそうしなかっただろう。
彼女は常日頃から、『家に帰りたくない病』に罹っていたのだから。

そういった訳では雨に打たれながら、バシャバシャと水をはねかして当てもなくフラフラと歩いていた。


頭の上から降ってくるシャワーがふいに途切れたのは、がさすがにコンビニで傘を買って
ついでに服が乾くまで雑誌の立ち読みでもしたほうがよかろうか、とか何とか思い始めていた時だった。

「はよ入り。風邪ひくで。」

明らかに関東のものではない独特の言い回しには、おや、と思って立ち止まり、ゆっくりと顔を上げた。

「忍足さん…」

は呟いた。

思ったとおりの顔がそこにはあった。

かの有名な氷帝学園中等部男子テニス部に所属する、1つ上の先輩である。

「どないしたんや、こんな雨ン中傘もささんと。」
「傘…持ってきてたんですけど…どーも行方不明になったみたいで…」

丸眼鏡―聞いた話によるとどうも伊達眼鏡らしいが―を押し上げながら尋ねる先輩にはモゴモゴと答える。

「そらかわいそーに。ほら、遠慮せんともっと入り。」
「あっ、いえ…お気遣いなく…」

はここに至ってやっと、自家用車を呼ぶ、ということを思いついた。
急いでスカートのポケットから携帯電話を取り出して、登録している電話番号を呼び出そうとする。

しかし。

   グイッ

「あっ…」

の手はいきなり彼女を引っ張った忍足によって止まってしまった。

「ええからええから。もっとこっち来(き)ぃ。」
「でも…私濡れてるから…忍足さんも濡れる…」

どういう訳だか、の体を自分の方に引き寄せている忍足に向かっては言う。
だが、ご当人は全く意に介した様子がない。

「俺はかまへん。」

伊達眼鏡の少年はきっぱりはっきりと言った。

「それよりアンタがこのままやと困るやろ?俺んちに連れてったる。はよおいで。」
「えっ…?」

えっ?えっ?えーっ?!

言うまでもなくの脳味噌は状況を理解できなかった。

そして、そのまま彼女はズリズリと、先輩に連れて行かれてしまった。



で、訳のわからないままにはいつの間にか忍足の自宅の前に連れてこられていた。

え、え〜とぉ…

は困ったように忍足の方を見るが、生憎彼女の先輩は後輩が困っていることに一向気づいている様子がない。

さっさとドアの鍵を開けてを中に引っ張り込んでしまう。

「ただいま〜…って言うても誰も出ぇへんけどな。」
「はい?!」

はますます困ったことになった、と思った。
当然のことだが。

「いや、あの…ご家族がお留守なのに…いいんですか…?」

恐る恐る尋ねるに先に家の奥に入った忍足はしれっとした顔で『ええねん、ええねん。』と答える。

「濡れてる子ぉほっとく訳にいかんやろ。ほら、上がり。」
「はあ…」

は間抜けな返事をするしかない。

家の奥にすっこんでいた忍足はやがて、手にバスタオルを抱えて戻ってきた。

「ほら、タオル。よお拭きや。」
「どうも…」

はボショボショと礼を言ってタオルを受け取ると、ゴシゴシと濡れた体を拭きにかかる。

どうも、落ち着かない。

「拭けたか?」
「はい…」
「アカン、まだ髪えらい濡れとるやないか。ほれ、貸してみ。」

忍足はからタオルを取ると、ワシャワシャと彼女の頭を拭きなおす。

「よっしゃ、これでええな。後は服をなんとかせんと…。」

何やらブツブツ言って、忍足はを急き立て2階に上がらせる。
で、『ちょっと待ってな』とを自室の前で待たせる。

いよいよもって困ったことになったなー、と思うの前に、ほどなくして彼は今度は衣類を持って姿を現した。

「ほれ、これに着替えとき。俺の服で悪いけど、ねーちゃんのとこ勝手に開けたら殺されるから…堪忍な。」
「いえ…どうかお構いなく…」
「またそんなこと言うて。俺の部屋、使い。俺はお茶入れてくるから、着替え終わったら降りといで。」
「いや、あの…」

は冗談抜きでそこまでしてくれなくていい、と言いかけたのだが忍足は有無を言わせず彼女を部屋に放り込んで
バタンとドアを閉め、下へと降りていってしまった。

「ハアァァァァ…」

人様の部屋のカーペットにへたりこんではため息をついた。

「どーしたもんだろ、この状況…」

思わずひとりごちてみたり。

「ってゆーか、ホントにいいのかなぁ…家族の人がいないのにお邪魔しちゃったりなんかして…」

だがしかし忍足のことだ、どうせ『ええから』の一言で押し切ってしまうに違いない。

こーなったら。

は思った。

お言葉に甘えてしまうことにしよう。

覚悟―というかどうかはともかく―を決めたは忍足に渡された衣類に着替えにかかった。

言うまでもなく彼女には大きすぎるサイズだったのだが、忍足はわざわざ大きめの安全ピンまでいくつか用意していたので
長すぎて困るところはそれで止めることができた。

一応先輩の中ではわりと話したことがある、というだけで忍足のことをあまり良く知らないであったが
どーやらなかなか気配りを欠かさない人種らしい、と解釈した。

「でも何で私なんかを…」

ダブダブのトレーナーの袖に安全ピンをつけながら、はこっそりと呟いた。


着替え終わったがそぉっと下に降りてみると、忍足はお茶の用意をしてリビングで彼女を待っていた。

「ああ、着替えたんやな。」

ソファに座っていた忍足はを視認すると満足そうに目を細めた。

「やっぱりちゃんが着ると可愛いな。俺が着るよりよっぽどええ感じやわ。」

忍足はどういう訳か、『』と苗字で呼ばず、『ちゃん』と呼ぶ癖がある。

「そんなこと…」

はまた困って俯いてしまう。

学校で彼女の従兄と並んで美形の誉れ高い人物に可愛いと言われるほど、自分は器量はよくない、と思う。

「そんなことないって?よぉ言うわ。まーええわ、ほれ、座り。」
「あ、はい…それじゃお言葉に甘えて…」

言われては忍足の横に少し間を空けて座る。

「もっとこっち来ぃな。」

忍足はそんなの手を取ってくいっと引き寄せる。

ちなみにこの時点での思考はサイケデリックな色彩になった。
要するに混乱したのだ。

多分、そんなの心情は外側にも表れていたのだろう、忍足はクックッと笑いを堪えた音を出す。

「そないパニくらんと、お茶冷めるで?」
「はぁ…」

何が何だかよくわからないままには目の前に置かれた紅茶カップをそっと持ち上げた。

自分でも気づかないうちに冷えていた体に、紅茶の熱が染み渡る。

急にの体から力が抜けた。

「落ち着いたみたいやな。」
「はい…有り難う御座います…」

呟きながら紅茶カップを戻すを見ていた忍足はふと、微笑んだ。

「やっぱちゃん、可愛いわ。」
「!!??」

今度ばかりはは問い返すことも不可能だった。

というのも、いつの間にか彼女は忍足に抱っこされてたからである。

再び脳味噌はサイケデリック。

どうも。

思考回路のかろうじてサイケデリックな色彩にならなかった部分では思う。

このお兄さんは案外唐突な人みたいだ。

だが、そんな行動、次に発せられた忍足の言葉に比べればまだ唐突という程ではない。

「なあ、ちゃん。」

伊達眼鏡の先輩は言った。

「俺と付き合わへん?」

は一瞬、体をビクッと震わせて硬直してしまった。

一応、何が起こっているのかは把握している。しかしそれはあまりにも…。

「ちょ、ちょっと待ってください…」

は掠れた声―元々他人に物を言う時は声が掠れ気味になる癖があったが―で呟いた。

「俺とは…嫌か?」

不安げに言う先輩にはブンブンと首を横に振る。

「嫌じゃないんですけど…その…何で…私…?」
「そんなん、ちゃんが好きやからに決まってるやん。」

の問いに対する忍足の答えは至極単純だった。

「ずっと好きやった。いつ言おかな思てなかなか言われへんかったけど…ずっとちゃんが…」
「忍足さん…」

が呟くと、彼女を抱く忍足の腕に更に力が加わった。

ちゃん、俺は絶対大事にするから。ちゃんが側にいてほしいんやったら絶対おったるから。
せやから…頼むで。」

はふと忍足の顔を見上げた。

いつもはしれっとした表情を浮かべているその顔が、どこか必死だった。

本気なんだ。
この人は本気で私を…

そこまでわかれば、の思うところは1つだった。

そんな訳で次の瞬間、は思わず、ギュッと忍足にしがみついていた。

ちゃん…」

忍足はの言わんとすることがわかったようだった。

その手は優しくの髪をなでる。

「嬉しい…」

は呟いた。

「私…そんなこと言われたこと一遍もなかったし…」
「見る目ない奴ばっかりやな。」

忍足は言っての顔を覗き込む。

「おかげで俺はラッキーやけど。」

はクスクスと笑う。

「あの…」
「ん、何や?」

は一瞬、躊躇した。
もしかしたら、自分は物凄く妙なことを言おうとしているんじゃないだろうか。

「その…ちょっとだけでいいから…甘えていいですか…?」

忍足は笑った。

「当たり前やん、何言うてんねん。」
「よかった…」

はホッとして忍足にもたれかかった。

何だかとても暖かくてたまらない。

「寂しいの…」

忍足にすりよりながらは思わずポツリと言った。

「家に帰っても誰も私を見ないし…甘えたくても誰もいないの…兄さんは甘えさせてくれないし…
私…寂しいの…」

うわ言の様に呟いているうちに、やわらかい暖かさに包まれての意識はとうとう暗転した。



「寝てもうたか。」

腕の中のを見つめながら忍足はポツと呟いた。

は安心しきった顔でスースーと寝息を立てている。
忍足より一回りは小さいその手は彼の服をきゅっと掴んで離さない。

「可哀想になぁ…こんなええ子やのに。」

の寝顔を覗き込みながら忍足はひとりごちる。

「こんな子に寂しい思いさして、ホンマにあいつは…」

忍足はそっとの髪を指で梳いた。

初めてがその従兄に連れられて氷帝にやってきた時から、彼は何となく彼女を『ええなぁ』と思っていた。

従兄とは似ても似つかぬ控えめな態度、穏やかな瞳、そそっかしいがどんなことでも一生懸命な姿がいじらしい。

気が弱く繊細ではあるが、いじめを受けている
―女子生徒の憧れの的であるその従兄と一つ屋根の下で暮らしているせいだろう―
にも関わらず、それに関しては一言も弱音を吐くことなく学校にちゃんと来ている姿も、
忍足にはどこか印象に残るものがあって…

酷く人見知りではあったが、焦らずにじっくり話しかけているうちに向こうもこっちに結構話してくれるようになり、
ついで心根の優しい少女であることもわかって、忍足の心を打つには充分だった。

「ふぁ〜…」

が身じろいだので忍足は彼女を落とさないように抱えなおす。

外ではまだ雨が降っていた。

…今頃、あいつはカンカンやろか。

雨の雫に打たれる窓ガラスを見つめながら忍足はふと、自分の同級生にしての従兄であるテニス部の部長のことを思う。

と血が繋がっているとはとても思えない、言っては何だが態度はデカいし素晴らしく自己陶酔が激しい人物、
そして同じ家に住む従妹を顧みない―忍足にとってはかなり腹立たしい―人物。

多分、彼は従妹がいつまで経っても帰ってこないことに怒っているだろう。
普段気にもかけていないわりには、従妹が自分の目の届かないところに行くのは気に入らないらしいから。

ホンマ、自分勝手な奴や。

忍足は思う。

ちゃんがどんな思いしとるんかも知らんと。

尤も、自身も従兄には決して言わないのだろうけど。

「何でやねん…」

雨の音との寝息だけが響く中、忍足は1人小さく声を漏らした。

何でちゃんの一番近くにおるのは俺やなくてあいつやねん。
俺やったら、絶対…ちゃんに『寂しい』なんて言わさへんのに。

ちゃんが痛い思いしてたら、ちゃんと側におったんのに。

それは忍足がを想うようになってから、常日頃思っていたこと。

『寂しいの…』

眠ってしまう直前に、が呟いた言葉が忍足の頭の中で何度も再生される。
急に胸が切なくなって、忍足はを痛いくらい抱きしめた。

「あ〜、ちゃんこんまま家に帰したないなー。」

1人でため息をついた忍足は、ふと気がついたことがあって待てよ、と思った。

明日は学校が休み。

両親と姉は明日の朝までは家に帰ってこない。

とゆーことは。

「一晩くらいこの子泊めたってもえーやんな。」

はっきり言って全然『えーことない』(よくない)のだが、に対するあまりに強い想いとその従兄に対する日頃の
鬱憤(?)は忍足の普段冷静な思考をすっ飛ばしてしまっていた。

「そーと決まればっと…」

忍足はを抱きかかえたままソファから立ち上がった。
そのまま彼はリビングを出て、2階に上がり、自室にを運び込む。

いまだにスヤスヤと眠っているをベッドに入れてやっていると、
忍足は床に置いてあったの鞄の上の物体に気がついた。

の携帯電話だ。

折りたたまれた隙間から幽かに光が漏れている。

何とはなしに忍足はそれに手を伸ばすと、『何してんねん、俺』と内心1人突っ込みを入れながら
パカッとそれを開いた。

その液晶ディスプレイを見た瞬間、彼の眉間に皺がよる。

フン、あいつ、こんな時だけは気にかけるんやな。

薄暗い部屋の中で馬鹿に明るい光を放つ小さな画面には今日の日付と今の時刻と、そして…
の従兄の名前が表示されていた。

ほっといたろ。

忍足がそう思ったのは言うまでもない。

「んー…」

ベッドの中のが声を上げたので忍足は慌てて勝手に開けた携帯電話を慌てて閉じ、元の所に戻す。

足音を立てないようにベッドの側によると、の手が寝ぼけながらも何か探しているかのようにゴソゴソしていた。

「大丈夫やで。」

その手を取って忍足はそっと囁いた。

「ちゃんと側におるから。」

その言葉を口にした途端、の手は大人しくなった。

ふっ…

やっぱり、この子可愛いわ。

眠るを見つめながら忍足は微笑んだ。

続く。


作者の独り言

続き物になってもたがな!!( ̄□ ̄;)

すいません、ゴシャゴシャ書いている内に容量がえらいことになってしまって…
(名前変換を導入してない状態で32キロバイトってのはギャグにもならない)

で、結局二つに分けることになってしまいました。

続きも早いトコ何とかしますのでどうかお待ちくださいませm(__)m

余談ですが、今回背景に使った写真は妹に『凄くええ感じ!』と褒められた撃鉄自慢の一品です(笑)


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